台湾労働基準法の基本:就業規則(工作規則)の作成と届出義務
日本企業が海外進出を果たす際、現地法人設立やビザ取得といった初期手続きに注力する一方で、設立後の組織運営を左右する労務管理体制の構築が後手に回るケースは少なくありません。特に台湾においては、日本と類似した法体系を持ちながらも、労働者の権利保護に対する意識の高まりや独自の行政解釈、厳格な判例法理が存在しています。日本の感覚で作成された就業規則(台湾法上の名称:工作規則)をそのまま翻訳して適用することは、重大な法的リスクを孕んでいます。
本記事では、モノリス法律事務所と台湾の椽智商務科技法律事務所の共同提携に基づき、台湾に進出する日本企業の経営者および法務担当者を対象に解説します。台湾労働基準法第70条に基づく工作規則の作成・届出義務について、その法的性質から実務プロセス、さらには不利益変更に関する司法判断に至るまで、網羅的に分析します。特に近年、台湾の裁判所が示している工作規則の法的効力に関する判断は、企業のコンプライアンス実務に多大な影響を与えています。単なる条文の解説にとどまらず、最高法院の重要判例や行政解釈を紐解きながら、日本法との比較優位性や相違点を明らかにします。
目次
台湾における工作規則(就業規則)の法的根拠と作成義務
台湾労働基準法第70条の構造
台湾における就業規則にあたる工作規則は、労働基準法(以下、労基法)第70条にその根拠を置いています。同条は、使用者が労働条件や職場規律を統一的に管理し、労使双方の権利義務を明確化するための最重要規定として位置づけられています。労基法第70条は、使用者が労働者人数30人以上の場合、その事業の性質に応じて工作規則(就業規則)を作成し、主管機関に届け出て核備(承認)を受け、これを公開掲示しなければならないと規定しています。
この条文には企業が遵守すべき3つの核心的な義務が含まれています。作成義務として法定事項を網羅した規則を作成すること、届出義務として所轄の労働行政機関に提出し審査を受けること、周知義務として事業場内の見やすい場所に掲示し労働者に周知させることです。これらは形式的な手続きではなく、労働契約の内容を形成する法的な効力要件とも密接に関わってきます。
30人以上の基準:日本法との決定的差異
工作規則の作成義務が発生する従業員数の基準について、日台間には明確な差異が存在します。日本では労働基準法第89条により常時10人以上の労働者を使用する事業場に作成義務があります。台湾では労働基準法第70条により30人以上の労働者を雇用する使用者に作成義務があります。一見すると台湾の方が基準が緩やかに見えるかもしれません。しかしこの数値を額面通りに受け取ることは危険です。
30人には正規雇用の社員だけでなく、パートタイム労働者、契約社員、外国人労働者なども含まれると解されています。台湾進出初期の日本企業は、数名の駐在員と現地採用スタッフで構成される小規模オフィスからスタートすることが多いですが、事業拡大に伴い現地採用が増加すると、意図せずこのラインを超過するケースが散見されます。
さらに台湾の労働当局は、30人未満の事業所であっても労使トラブル防止の観点から工作規則の作成を強く推奨しています。労働契約書に詳細な規定がない場合、労働条件に関する争いが生じた際に、労働基準法という最低基準がそのまま適用されるか、労働者に有利な解釈がなされる可能性が高いためです。
企業防衛の観点からの早期作成
IT企業やスタートアップ企業の支援を行う中で、特に強調したいのはスケーラビリティを考慮した早期のルール策定です。30人を超えてから慌てて規則を作成しようとすると、既存の労働慣行が既得権益化しており、それらを成文化する過程で従業員の反発を招くリスクがあります。黙示的に認められていた手当や休暇の取得方法などがその例です。法的義務が生じる前の段階から、将来の組織拡大を見据えた工作規則を整備しておくことが、経営の安定化に寄与します。
台湾の工作規則における必要的記載事項

台湾労基法第70条は、工作規則に必ず記載しなければならない事項として12項目を列挙しています。これらは労働条件の核心をなすものであり、記載漏れは行政指導や罰則の対象となります。
工作規則の12の記載事項
第1号は労働時間、休憩、休日、国定祝日、特別休暇、継続勤務のシフト編成です。変形労働時間制の導入要件として、台湾では2週間、4週間、8週間の変形労働時間制を採用する場合、労働組合または労資会議の同意が必要であり、工作規則への記載だけでは不十分な場合がある点に注意が必要です。
第2号は賃金の基準、計算方法および支給日です。基本給と諸手当の区分として、残業代計算の基礎となる平日毎時間賃金の定義を明確にするため、何が工資(賃金)に含まれるかを厳密に定義する必要があります。
第3号は残業(延長労働時間)です。無許可残業による残業代請求リスクを防ぐため、残業は事前の申請と上長の承認を要する旨を明記することが実務上重要です。
第4号は手当および賞与です。年終奨金(ボーナス)等が法的義務のある給付か、業績連動型の裁量的給付かを明確に区別しなければなりません。
第5号は遵守すべき規律です。職務専念義務、兼業禁止、守秘義務、ハラスメント禁止などが含まれます。特にIT企業においてはデータセキュリティやSNS利用規定の整備が急務です。
第6号は考課、休暇取得、賞罰、昇進・異動です。懲戒の種類(始末書、減給、降格、解雇)と事由を具体的に列挙する必要があります。
第7号は採用、解雇、整理解雇、退職、定年退職です。労基法第11条(整理解雇等)および第12条(懲戒解雇)の事由を逸脱する規定は無効となります。
第8号は災害、傷害、疾病に対する補償および見舞金です。労基法第59条に基づく補償義務を記載します。日本の労災保険とは異なり、使用者の直接補償責任が原則となるため詳細な規定が必要です。
第9号は福利厚生措置です。一定規模以上の事業所には福利厚生委員会の設置と売上高の一定割合の拠出が義務付けられており、これに関連する規定を記載します。
第10号は労使双方が遵守すべき安全衛生規定です。労働安全衛生法との整合性が求められます。
第11号は労使間の意思疎通および協力に関する事項です。台湾独自の労使協議機関である労資会議の開催や代表選出方法に関する規定を記載します。
第12号はその他として、性ハラスメント防止法に基づく規定など、事業の性質に応じた事項を記載します。
特に注意すべき解雇および賞罰規定
上記の中で日本企業が最も注意を要するのが第6号(賞罰)および第7号(解雇)です。台湾では解雇は最後の手段という法理が確立しており、工作規則に懲戒解雇事由が明記されていても、その適用が客観的に見て合理的かつ相当でなければ、不当解雇として無効とされます。
労基法第12条第1項第4号は、労働契約または工作規則に対する違反が重大な場合を使用者が予告なしに解雇できるとしています。しかし何をもって重大とするかについて、最高法院は基準を示しています。最高法院は、重大とは労働者の違反行為により使用者が懲戒解雇以外の懲戒処分を行うことが客観的に困難であり、雇用関係を継続することが著しく不合理である場合を指すと判示しています。違反の態様、初犯か常習か、故意か過失か、使用者への損害の程度などを総合的に判断しなければなりません。
したがって工作規則においては、単に「規則に違反した場合は解雇する」という包括的な規定ではなく、どのような行為が重大な違反に該当するかを具体的に列挙することが重要です。IT企業におけるソースコードの持ち出しや、金融機関における横領など、企業の業種や職務内容に即して詳細に定める必要があります。
台湾における行政への届出プロセスと審査の実態
工作規則を作成した後は、所轄の主管機関へ届出を行い審査を受ける必要があります。これは労基法第70条が課す行政上の義務です。
管轄当局と届出先
届出先は事業所の所在地を管轄する地方自治体の労働局です。台北市は台北市政府労働局、新北市は新北市政府労工局、高雄市は高雄市政府労工局となります。科学園区(サイエンスパーク)は各管理局(例:新竹科学園区管理局)が管轄します。
本社と工場が異なる県市にある場合や支店が各地に分散している場合は、原則としてそれぞれの事業所を管轄する労働局に届け出ます。ただし全社統一の規則を適用する場合は、本社所在地を管轄する労働局に一括して届け出ることも実務上行われています。
届出に必要な書類と手続き
標準的な届出書類として、申請書(会社の大印および代表者印を押印したもの)、工作規則2部、修正の場合は新旧対照表、労資会議の議事録(特に労働条件の変更や変形労働時間制の導入を含む場合は添付が求められます)、会社登記証明書類が必要です。申請後、行政機関による審査が行われます。台北市の場合、問題がなければ20日以内に審査が完了するとされています。しかし内容に不備や法令違反の疑義がある場合は、修正を命じられます。
「核備」とは行政機関がその内容を確認し受理する手続きですが、台湾の行政実務では実質的な審査が行われます。残業代の計算率が法定基準を下回っていないか、女性の深夜労働に関する規定が適法か、試用期間中の解雇について法定の解雇事由を排除していないかなどが厳しくチェックされます。主管機関から修正命令が出された場合、企業は速やかに修正版を再提出しなければなりません。この修正に応じない場合、届出は受理されず後述する罰則の対象となる可能性があります。
台湾における工作規則の法的効力と未届出のリスク

実務上最も議論となるのが、作成・周知はしているが行政への届出を行っていない工作規則の効力です。日本の最高裁判例では、就業規則の届出は行政上の取締規定に過ぎず、私法上の効力発生要件ではないと解されています。台湾においてはどうでしょうか。
司法判断:未届出でも有効となる余地
台湾の最高法院は、工作規則の私法上の効力について柔軟な解釈を示しています。最高法院104年度台上字第129号民事判決は、労働者と使用者が使用者の定めた工作規則を労働条件とすることに合意している場合、その工作規則が法令の強行規定や団体協約に違反していない限り、労使双方を拘束する効力を有すると判示しています。たとえ使用者が労働基準法第70条の規定に従って工作規則を主管機関に届け出ていなかったとしても、それは同法第79条の処罰を受けるかどうかの問題に過ぎず、労働契約の一部としての効力を妨げるものではありません。
この判決により、民事訴訟においては内容の合理性と従業員への周知がなされていれば、未届出であってもその工作規則は有効と判断される可能性が高いことが確認されました。
行政判断とコンプライアンスリスク
しかし司法判断で有効とされ得るからといって、届出を怠ってよい理由にはなりません。未届出は明白な労基法第70条違反であり、労働検査で発覚すれば第79条に基づく過料が科されます。また届出を経ていない工作規則は公的なお墨付きを得ていない状態です。裁判において労働者側から「その規則は知らされていない」「内容が不合理だ」と主張された場合、使用者はその合理性や周知の事実を一から立証しなければならず、訴訟戦術上極めて不利になります。
特に労働条件を不利益に変更した工作規則の場合、届出および労資会議の合意がないことは、手続き的公正性を欠くとして無効判断の決定的な要因となり得ます。法務コンプライアンスの観点からは、届出は必須と考えるべきです。
台湾における不利益変更の法理と高度な必要性
経済環境の変化や経営危機の際、企業は賃金カットや手当の廃止など、労働条件の引き下げを検討せざるを得ない場合があります。台湾において工作規則の不利益変更はどの程度認められるのでしょうか。
原則:一方的な変更の禁止
台湾の判例法理の原則は、労働条件の変更には労働者の同意が必要というものです。台北地方法院2011年度重労訴字第8号民事判決は、使用者が労働者と協議せず一方的に工作規則を変更する場合において、その変更後の内容が労働者にとって著しく不利であるときは、原則として反対する労働者を拘束することはできないと判示しています。これは既得権益の保護に基づくものであり、日本における労働契約法第10条の法理と類似しています。
例外:合理性変更の法理
しかし企業の存続に関わるような状況下では、例外的に一方的な変更が認められる場合があります。最高法院88年度台上字第1696号判決は、使用者が工作規則について労働者に不利益な変更を行う場合、原則として反対する労働者を拘束できないが、その変更が合理性を有するときは例外的に拘束することができると判示しています。
裁判所は以下の要素を総合的に考慮して合理性を判断します。変更の必要性として経営上の危機的状況や競争力維持の必要性、労働者が受ける不利益の程度として賃金減少の幅や生活への影響、代償措置の有無として激変緩和措置や代替手当の支給、社会的妥当性として同業他社の動向、手続きの適正性として労働組合や労資会議との協議プロセスが考慮されます。
賃金減額に対する高度な必要性
特に注意すべきは、賃金の減額を伴う変更についてです。台湾の裁判所は、賃金に関する不利益変更に対して通常の労働条件変更よりも遥かに厳格な基準を設けています。
最高法院91年度台上字第1040号判決は、賃金、退職金等の重要な労働条件について不利益変更を行う場合、高度な必要性を具備していなければならないと判示しています。単に利益率が下がった、コスト削減目標があるといった理由では不十分です。変更しなければ倒産の危機に瀕する、事業継続が不可能になるといった切迫した事情が証明されない限り、賃金減額を伴う工作規則の変更は無効とされる可能性が極めて高いのが実情です。
この点は日本の整理解雇の4要件における人員削減の必要性に近い厳格さが求められていると理解すべきでしょう。
台湾の工作規則に関する罰則規定と違反時の影響

工作規則の作成・届出義務に違反した場合のペナルティについて解説します。労基法第70条に違反した場合、第79条第3項に基づき行政罰が科されます。基本罰金額は2万台湾元以上30万台湾元以下です。さらに主管機関は事業の規模、違反に関わる人数、違反の情状などを考慮し、この罰金額を法定最高額の2分の1まで加重することができます。
この罰則規定は2011年および2016年の法改正によって引き上げられました。かつては罰金額が低く抑止力として機能していないとの批判がありましたが、現在は企業にとって無視できない金額となっています。金銭的な罰金以上に企業にとってダメージとなるのが、違反企業名の公表です。労基法第80条の1に基づき、主管機関は違反した事業主の名称、責任者氏名、違反条項、罰金額をウェブサイト等で公表します。これは企業のブランドイメージや人材採用活動、さらにはESG投資の観点からも重大なレピュテーションリスクとなります。
台湾進出日本企業への戦略的提言と実務対応
以上の法的枠組みを踏まえ、台湾進出日本企業がとるべき具体的なアクションプランを提言します。
ローカライズの徹底:翻訳だけでは不十分
日本の本社で使用している就業規則を中国語に翻訳しただけでは、台湾の法令に適合しません。休日・祝日については、台湾の国定休日は旧暦に基づくものが多く(春節、中秋節など)、日本の祝日とは異なります。特別休暇については、台湾の有給休暇は勤続半年から付与義務が生じ、未消化分は年度末に必ず金銭で買い取らなければならないという強力な保護規定があります。
労使合意で翌年に繰り越すことも可能ですが、日本の時効による消滅という概念は通用しません。退職金については、2005年以降に適用される労工退休金条例(新制)に基づき、毎月賃金の6%以上を個人口座に積み立てる義務があります。旧来の退職金規定との関係整理が必要です。
IT・テクノロジー活用と工作規則
テレワーク規定については、パンデミック以降定着した在宅勤務について、労働時間の管理方法、通信費の負担、情報セキュリティ対策を工作規則に盛り込む必要があります。台北市労働局もテレワークに関する参考手引を公開しており、これに準拠した規定が求められます。デジタル機器の私的利用とモニタリングについては、会社支給のPCやスマートフォンの私的利用禁止、および会社によるモニタリングの可能性と範囲を明記し、プライバシー侵害のリスクを回避します。
秘密保持と競業避止については、技術情報や顧客データの持ち出しを防ぐため、退職後の競業避止義務を明確化します。台湾では代償措置のない競業避止契約は無効とされる傾向にあるため、工作規則と個別の誓約書を組み合わせた設計が必要です。
まとめ
台湾における工作規則の作成と届出は、30人以上の事業所にとって避けて通れない法的義務です。しかしこれを単なるコストや事務作業と捉えるのではなく、企業のガバナンスを強化し優秀な人材を惹きつけるための基盤と捉え直すべきです。
未届出のリスクや不利益変更の厳格な要件を理解し、現地の法文化に即したルールを構築することは、予期せぬ紛争コストを削減し安定した事業成長を実現するための投資です。モノリス法律事務所と椽智商務科技法律事務所は、日本と台湾、法律とテクノロジーの架け橋として、皆様の台湾事業の成功を強力にバックアップいたします。
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