台湾版CHIPS法(産業創新条例10条の2):半導体サプライチェーンへの恩恵
世界経済の動脈とも言える半導体産業において、台湾が果たしている役割の重要性は論を待ちません。地政学的な緊張が高まり、各国がサプライチェーンの再構築と自国産業の保護に奔走する中、台湾政府は自国の技術的優位性を盤石なものとするため、歴史的な法改正を行いました。2023年に施行された産業創新条例第10条の2、通称「台湾版CHIPS法」です。
本法は、台湾国内で最先端技術の研究開発や先進的な製造プロセスの構築を行う企業に対し、過去最大規模の税額控除を提供するものです。対象は国際サプライチェーンにおいて重要な地位を占める企業による先端技術の研究開発や先進製造プロセスへの投資であり、半導体のみにとどまらず、電気自動車(EV)や次世代通信にも及びます。
本記事では、この台湾版CHIPS法の全貌を解説します。適用のための厳格な要件、申請プロセス、日本の類似制度である戦略分野国内生産促進税制との構造的な違いについて、最新の法令情報に基づき詳述します。
目次
台湾における産業創新条例第10条の2の制定背景と立法趣旨
近年、米国におけるCHIPS法や欧州の半導体法など、主要国は巨額の補助金を投じて戦略物資の生産拠点を自国内に誘致する動きを加速させています。こうした国際的な産業政策競争は、世界のファウンドリ市場で圧倒的なシェアを持つ台湾にとって、産業空洞化のリスクをもたらすものでした。台湾政府は、技術流出を防ぎ、次世代のイノベーション拠点を台湾国内に留めるために、強力なインセンティブを提示する必要に迫られました。
産業創新条例第10条の2(台湾版CHIPS法)の核心的な目的は、単なる企業の税負担軽減ではありません。台湾が国際サプライチェーンにおける重要な地位を維持し続けることにあります。台湾経済部(日本の経済産業省に相当)は、本法を通じて、企業がリスクの高い最先端技術の研究開発に果敢に挑戦し、世界をリードする製造プロセスを台湾国内で確立することを求めています。「根留台湾(台湾に根を張る)」という政策スローガンを法的に具現化したものであり、台湾の経済安全保障の中核を成す施策と言えます。
本法の適用期間は2023年(民国112年)1月1日から2029年(民国118年)12月31日までの7年間と定められています。この期間設定は、企業の予見可能性を高め、中長期的な投資計画を策定しやすくするための戦略的な配慮です。
台湾版CHIPS法の税額控除制度の詳細

本制度の最大の魅力は、その高い税額控除率にあります。対象となる投資活動は大きく「前向きなイノベーション研究開発」と「先進プロセス用設備」の二つに分類され、それぞれに強力な減税措置が用意されています。
前向きなイノベーション研究開発に対する税額控除
第一の柱は、研究開発(R&D)費に対する優遇です。企業が支出した前向きなイノベーション研究開発費(Forward-looking Innovative R&D Expenses)の25%を、当年度の法人税(営利事業所得税)額から直接控除することができます。従来の産業創新条例第10条に基づく一般的なR&D減税の控除率が15%であることを踏まえると、25%という数字は異例の高水準です。
ここで言う「前向きなイノベーション」とは、国際的にリードする技術、あるいは成熟した製造技術であっても革新的な応用を伴うものを指します。単なる既存製品の改良は含まれません。
先進プロセス用機器・設備への投資に対する税額控除
第二の柱は、設備投資への支援です。企業が自ら使用するために購入した先進プロセス用の全く新しい機器または設備への支出金額の5%を、当年度の法人税額から控除可能です。半導体の微細化プロセスに不可欠なEUV露光装置など、数百億から数千億円規模の設備投資が求められる産業において、投資額の5%が税額から戻ってくる仕組みは、企業のキャッシュフローに大きな好影響を与えます。なお、対象は新品に限定されており、中古設備の導入は本制度の対象外となります。
控除上限額と併用制限
これらの優遇措置には、租税公平性の観点から上限(キャップ)が設けられています。研究開発費の控除(25%分)と設備投資の控除(5%分)は、それぞれ単独で適用する場合、当年度の法人税額の30%を超えることはできません。これら二つの控除を併用する場合、合計での控除額は当年度の法人税額の50%が上限となります。どれほど巨額の投資を行ったとしても、納付すべき法人税額の半分までしか相殺できないという構造です。
台湾版CHIPS法の適用要件と対象企業の選別
産業創新条例第10条の2は、その恩恵が極めて大きい反面、適用を受けるための要件も非常に厳格に設計されています。台湾政府は、本制度が特定の企業のみを優遇するものではないとしつつも、実質的にはグローバル競争の最前線にあるトップティア企業を選別する仕組みとなっています。
研究開発費の規模と集約度
最も明確なハードルとなるのが、研究開発費の規模要件です。適用を受けるためには、同一課税年度における研究開発費が60億台湾元(約270億円から300億円程度)に達している必要があります。絶対額だけでなく研究開発集約度(R&D強度)も問われ、同一年度の研究開発費が売上高純額(Net Operating Income)の6%以上でなければなりません。製造業において売上の6%を研究開発に投じ続けることができるのは、技術開発に経営資源を集中させている企業に限られます。
有効税率要件とグローバル・ミニマム課税への対応
本制度の特筆すべき点は、有効税率(Effective Tax Rate)に関する要件が設けられていることです。適用を受ける年度において、企業の有効税率(実際の納税額÷課税所得)が一定水準以上であることが求められます。具体的には、2023年度は12%以上、2024年度以降は15%以上と定められています(ただし、国際情勢を鑑みて12%への据え置き措置もあり得ます)。
この要件の背景には、OECDが主導するBEPS包摂的枠組みにおける第2の柱、すなわちグローバル・ミニマム課税(最低税率15%)の導入があります。もし台湾政府が大幅な減税を行い、多国籍企業の有効税率が15%を下回った場合、その差額分は親会社などが所在する他国でトップアップ課税として徴収される可能性があります。これを防ぐため、台湾政府は減税は行うが最低でも15%(2023年は12%)の税率は確保するという防衛ラインを設定しました。減税メリットが他国の税収として流出することを防ぐための戦略的な措置です。
国際サプライチェーンにおける重要な地位
定量的要件に加え、国際サプライチェーンにおいて重要な地位(Key Position)を占めていることという定性的要件も満たす必要があります。関連法令によれば、重要な地位とは、その企業が生産する製品や提供するサービスが2つ以上の国または地域の産業サプライチェーンで使用されており、かつその製品やサービスがサプライチェーンのいずれかの段階で顕著な影響力を有している状態を指します。この判断には、世界市場シェアやランキングなどの客観的データが用いられますが、最終的には経済部が設置する審査委員会の総合的な判断に委ねられます。
消極要件として、過去3年間に環境保護、労働安全衛生、食品安全衛生に関する法律の重大な違反がないことも求められます。ESG経営を重視する現代の産業政策において、法令遵守(コンプライアンス)が大前提であることを示しています。
日本の戦略分野国内生産促進税制との比較

日本企業にとって、本制度を日本の類似制度と比較して理解することは非常に有益です。日本では令和6年度税制改正等を通じて戦略分野国内生産促進税制が創設されましたが、台湾の制度とは設計思想において明確な違いがあります。
インプット型とアウトプット型の違い
日本の戦略分野国内生産促進税制は、半導体やEVなどの戦略物資について、その生産量や販売量に応じた比例控除を行うアウトプット型のインセンティブです。例えば、半導体であれば1枚生産・販売するごとに定額といった形で、日本国内での生産活動の継続を10年間にわたり支援することに主眼が置かれています。失われた生産基盤を日本国内に取り戻すための施策としての性格が色濃く反映されています。
対照的に、台湾の産業創新条例第10条の2は、研究開発費や設備購入費という投資額(インプット)に対する控除です。台湾のアプローチは、生産すること自体よりも、常に技術の最先端であり続けること(イノベーション)に重きを置いています。すでに生産拠点としての地位を確立している台湾においては、量の拡大よりも、他国の追随を許さない技術的優位性の維持が重要だからです。
法人税率と制度設計への影響
両国の法人税率の違いも、制度設計に影響を与えています。日本の実効税率は約30%程度であり、グローバル・ミニマム課税の15%に対して一定の余裕があります。一方、台湾の法人税率は20%であり、ミニマム税率との差はわずか5%ポイントしかありません。そのため、台湾の制度では前述の通り有効税率要件を法文に明記し、国際課税ルールとの整合性を厳密に図る必要がありました。
以下の表は、両制度の主要な違いを整理したものです。
| 比較項目 | 台湾:産業創新条例第10条の2 | 日本:戦略分野国内生産促進税制 |
| 主たる目的 | 技術革新とサプライチェーンの核心的地位維持 | 国内生産基盤の強化・復活 |
| インセンティブ対象 | インプットベース(R&D費用、設備投資額) | アウトプットベース(生産量・販売量) |
| 控除率・額 | R&D費用の25%、設備投資額の5% | 製品ごとの単価設定(例:半導体1枚あたり定額) |
| 適用期間 | 7年間(2029年まで) | 10年間(計画認定から) |
| 対象企業の条件 | R&D費60億元以上、R&D強度6%以上 | 事業適応計画の認定を受けた企業 |
| 最低税率要件 | あり(有効税率12%〜15%) | 特になし(基本税率が高いため) |
産業創新条例第10条の2に関する経済部の公式な条文については、以下の台湾経済部のウェブサイトで確認することができます。
参考:産業創新条例 第10条の2(台湾経済部 法規検索システム)
台湾版CHIPS法の申請実務とスケジュール
本制度の適用を受けるためには、税務申告に先立ち、経済部による厳格な審査を経る必要があります。
申請期間と審査フロー
申請手続きは、毎年の法人税申告スケジュールと連動しています。企業はまず、自社が技術革新を行い、国際サプライチェーンにおいて重要な地位を占めていることの認定を経済部(産業発展署)に求める必要があります。例年のスケジュールでは、2月から5月末日までの間に申請を受け付け、その後、経済部が召集する審査委員会において審議が行われます。この認定を受けなければ、税務申告時に控除を適用することはできません。
必要書類と立証責任
申請に際しては、以下の事項を証明する詳細な書類の提出が求められます。研究開発活動の具体的内容については、取り組んでいる技術が前向きなイノベーションに該当することの技術的説明が必要です。定量的要件の証明については、公認会計士による監査済み財務諸表等を用いた、研究開発費60億元およびR&D強度6%の証明が求められます。国際的地位の証明については、世界市場シェア、主要顧客リスト、製品が組み込まれている最終製品のグローバルな流通状況など、客観的なデータを用いた説明が必要です。コンプライアンス証明については、過去3年間に環境・労働・食品安全関連の重大な法令違反がないことの証明が求められます。
なお、国際的地位の証明については、第三者機関の市場調査レポートなどを活用し、説得力のあるロジックを構築する必要があります。申請期間や様式に関する最新のアナウンスは、財政部賦税署のウェブサイト等で確認可能です。
参考:産業創新条例第10条の2:先端分野の研究開発および設備投資に関する税額控除の概要(台湾財政部)
台湾版CHIPS法の2025年改正:AIと脱炭素への展開
技術の進化は速く、法制度もそれに追随する必要があります。2025年の改正においては、本制度の適用対象をさらに広げる動きが進んでいます。具体的には、人工知能(AI)および省エネ・脱炭素(カーボンリダクション)技術が新たな適用領域として議論され、位置づけられています。
AIに関しては、台湾がAIサーバーの製造や高性能チップのパッケージングにおいて世界的なハブとなっている現状を反映したものです。AI関連のハードウェアだけでなく、AIを活用した製品やサービスについても優遇の対象とすることで、産業の高度化を図る狙いがあります。脱炭素技術については、世界的なネットゼロの流れの中で、企業のグリーン投資を加速させるためのインセンティブとして機能することが期待されています。これにより、半導体以外の分野、例えばグリーンエネルギー関連の部材メーカーなども、将来的には本制度の恩恵を受ける可能性が広がっています。
まとめ
産業創新条例第10条の2、いわゆる台湾版CHIPS法は、台湾が世界のハイテク産業における不可欠な地位を維持・強化するために打ち出した、極めて戦略的な法制度です。R&D費用の25%という高い税額控除は、対象となる企業に強力な競争優位をもたらします。一方で、その適用には巨額の研究開発投資や厳格なコンプライアンス遵守、そして複雑な国際税務への対応が求められます。
日本企業にとっては、現地法人が直接この制度の適用を受けるハードルは高いものの、本制度を活用して競争力を高める台湾パートナー企業(TSMCなど)との連携強化や、合弁事業を通じた戦略的展開の中に大きなチャンスが存在します。AIや脱炭素といった新分野への適用拡大は、新たなビジネスの可能性を開くものです。
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河瀬 季
Toki Kawase
IT企業経営の経験を持つエンジニア出身の弁護士。東大院修了後、モノリス法律事務所を開設。上場企業からスタートアップまで顧問弁護士やCLOとして経営を支援する。特に台湾法務に精通し、専門チームを率いて現地法人設立から労務、知財戦略分野で日本企業の台湾進出を多角的にサポートしている。
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