船主・用船者が知るべき台湾の海事優先特権と債権順位
台湾は、北東アジアと東南アジアを結ぶ地理的要衝に位置し、世界の海上物流において重要な役割を果たしています。日本の海運会社、商社、物流企業にとって、台湾の主要港湾である高雄港、基隆港、台中港、台北港は、単なる寄港地を超え、東アジアにおけるサプライチェーンの核心的ハブとなっています。
日本と台湾の経済的結びつきは深く、日常的に多数の日本籍船や、日本企業が実質的に支配する便宜置籍船が台湾の水域を行き交っています。しかし、海上輸送には常に不測の事態がつきまといます。荒天による海難事故、船舶の衝突、世界的な海運市況の変動による用船者の倒産や船主の資金繰り悪化など、経営者が予期せぬトラブルに直面するリスクは避けられません。法的紛争が発生すれば、海商法という特殊な法体系と、台湾独自の司法実務が立ちはだかります。
多くの日本企業が陥りやすいのは、台湾の法律も日本の法律と似たようなものだろうという予断です。確かに、台湾の法体系は日本の旧商法やドイツ法の影響を強く受けており、用語や概念には共通点が多く見られます。しかし、海事法、とりわけ債権回収の最後の砦である海事優先特権(Maritime Lien)や船舶競売(Judicial Sale)の局面においては、日本法とは決定的に異なるルールが存在します。
たとえば、日本では認められている燃料供給業者の先取特権が、台湾では認められない可能性があります。また、外国船が台湾で競売に付された際、どの国の法律で優先順位を決めるのかという準拠法の問題は、極めて複雑です。これらの違いを理解していなければ、数億円、数十億円規模の債権が回収不能となるリスクに直結します。
本記事は、台湾海事法務の深層を解き明かすものです。表面的な条文解説にとどまらず、台湾海商法における海事優先特権の構造的特質、船舶競売における債権の優先順位、準拠法を巡る司法実務の最前線、最新の判例と実務対応について徹底的に掘り下げます。
目次
台湾海商法における海事優先特権の分析
海事優先特権の法的性質
海事優先特権とは、船舶の運航に関連して発生した特定の債権を有する者が、船舶そのもの、属具、および未収運賃などを担保として、他の債権者に優先して弁済を受けることができる権利です。民法上の抵当権などとは異なり、登記を必要とせず、法律の規定によって当然に発生する法定担保物権です。台湾においても、この権利は海商法(Maritime Act)によって規定されています。
最大の特徴は追及効(Droit de Suite)にあります。船舶の所有権が第三者に移転したとしても、海事優先特権は船舶に付着したまま移動し、債権者は新しい所有者の手にある船舶を差し押さえて競売にかけることが可能です。
台湾海商法第24条が定める5つの特権
台湾海商法第24条は、海事優先特権が付与される債権を厳格に限定しています。これはクローズド・リストと呼ばれ、ここに記載のない債権は海事優先特権としては扱われません。
第1号は、船長、海員及びその他船舶に乗り組む職員の雇用契約に基づく債権です。未払いの給与、手当、送還費用、解雇予告手当などが含まれます。船員は洋上で孤立しやすく、船主に対する交渉力が弱いため、人権保護の観点から最優先の保護が与えられています。
第2号は、船舶の操作に直接起因する人身の死傷に対する船舶所有者への賠償請求権です。衝突事故や船内労働災害による死亡・負傷への賠償であり、財産的損害よりも人命の保護を優先する政策的判断に基づいています。
第3号は、救助報酬、沈没船除去費用及び共同海損分担額の賠償請求権です。海難救助は、船舶という担保価値そのものを滅失から救う行為であり、他の全債権者の利益に資するため、伝統的に高い優先順位が認められています。
第4号は、船舶の操作に直接起因する陸上・水上の財物毀損滅失に対する不法行為に基づく賠償請求権です。船舶衝突による相手船の損害、岸壁や港湾施設の損壊、養殖網の破損などが該当します。契約ではなく不法行為(Tort)に基づくものである点が重要です。
第5号は、港湾費、運河費、その他水路費及び水先料(Pilotage)です。公共的なインフラ利用料や水先案内人の報酬であり、船舶の安全航行と港湾機能の維持に不可欠な費用として保護されます。
日台比較:日本企業にとっての隠れたリスク
日本の経営者や法務担当者が最も注意すべき点は、日本法(商法)との差異です。特に、必需品(Necessaries)の供給に関する取扱いの違いは、実務上極めて重大な影響を及ぼします。日本の商法第842条(船舶先取特権)では、航海を継続するために必要な費用に係る債権にも先取特権を認めています。これにより、日本では船長が航海継続のために購入した燃料(バンカー)、食料、船舶の修理代金などについて、供給業者は船舶先取特権を行使できます。
しかし、台湾海商法第24条のリストには、必需品の供給や修理契約に基づく債権が含まれていません。日本の商社や造船所が、台湾において船舶への燃料供給や修繕を行った場合、その代金債権は海事優先特権を持たない単なる一般債権となります。相手方の船主が倒産し、船舶が競売に付された場合、一般債権者が配当を受けられるのは、優先特権者や抵当権者が全額回収した後の残余からのみです。実務上、船舶競売で一般債権まで配当が回ってくることは稀であり、事実上の回収不能を意味します。
日本企業は、船に燃料を入れたのだから、船を売れば回収できるはずだという日本法的な常識を捨て、台湾においてはより厳格な与信管理が必要です。前払い、親会社保証の取得、あるいは留置権の活用などを検討すべきでしょう。
海事優先特権の対象となる財産の拡張
海事優先特権の効力は、船舶本体だけでなく、その付属物や果実にも及びます。台湾海商法第27条は、船舶、船舶の設備・属具、またはその残余物、優先債権が発生した航海期間内の運賃、船舶所有者が当該航海中の船舶損害または運賃損失に対して受けるべき賠償金、共同海損により船舶所有者が受けるべき賠償、航海完了前に実施された救助に対する報酬を優先特権の対象として規定しています。
特筆すべきは、台湾海商法第28条による船員保護の強化です。通常、優先権はその航海の運賃に限定されますが、船員給与については同一の雇用契約内で発生した全運賃に対して優先権を行使できるとされています。これは、長期航海や連続航海に従事する船員の生活権を守るための、台湾法特有の手厚い配慮です。
台湾における債権の優先順位:競売時の配当構造

優先順位の全体像
船舶が裁判所によって競売(Judicial Sale)に付された場合、売得金はどのように分配されるのでしょうか。台湾における船舶競売時の配当順位は、明確なピラミッド構造になっています。最優先されるのは共益費用・執行費用(Custodia Legis)です。裁判所の手数料、競売申立費用、差押え期間中の船舶保管料、監視員費用、岸壁使用料などが該当し、強制執行法第29条に基づきます。
第1位は海事優先特権(Maritime Liens)であり、海商法第24条の5項目が該当します。第2位は船舶留置権(Rights of Retention)で、造船所や修理業者が代金未払いのために船舶を占有している場合に認められる権利ですが、海事優先特権には劣後します。第3位は船舶抵当権(Preferred Mortgages)で、銀行などが融資の担保として設定し、登記された抵当権です。第4位以下は一般債権(Ordinary Claims)で、優先権を持たないその他の債権が該当します。
海事優先特権内部の順位
複数の海事優先特権が競合する場合、その順位は海商法第29条によって詳細に定められています。原則として、第24条の列挙順に従い、第1号(船員給与)が最も強く、次いで第2号(人身損害)、第3号(救助)、第4号(不法行為)、第5号(港費)の順となります。日本の商法とは順序が異なる点に注意が必要です。台湾では船員給与が絶対的な第1位ですが、他国法では救助報酬が最上位に来ることもあります。財産を保存した者が優先されるという考え方もありますが、台湾は人権(給与)を財産保全(救助)よりも上位に置いています。
同一順位内では、原則として債権額に応じて按分比例(Pro Rata)で配当を受けます。ただし、第3号(救助報酬等)については例外があり、後に発生したものが先に発生したものに優先するという逆順位ルールが適用されます。後の救助活動が行われたからこそ、船舶が沈没せずに済み、前の救助者や債権者も権利を行使できる状態が保たれたからです。
抵当権者と海事優先特権者の利益相反
船舶ファイナンスを提供する銀行や金融機関にとって、海事優先特権は最大の脅威です。海事優先特権は隠れた担保であり、登記簿に現れないにもかかわらず、登記された抵当権に常に優先するからです。たとえば、市場価値10億円の船舶に銀行が8億円の抵当権を設定していたとします。しかし、この船が長期間の船員給与未払い(2億円)と、重大な衝突事故による賠償義務(3億円)を抱えていた場合、競売での配当は以下のようになります。売却代金10億円から海事優先特権5億円(給与2億+賠償3億)が控除され、残額5億円が銀行への配当となります。債権8億円に対して3億円の貸倒れが発生するのです。
このように、海事優先特権の累積は、抵当権の担保価値を直接的に毀損します。台湾において船舶融資を行う、あるいは船舶を担保に取る日本企業は、対象船舶の稼働状況だけでなく、船員への給与支払状況や事故歴を厳密にモニタリングする必要があります。
台湾における準拠法を巡る問題:外国船の競売と法の抵触
強制執行法第114条の3の規定とその解釈
台湾の港に入港する船舶の多くは、パナマ、リベリア、マーシャル諸島などの便宜置籍船です。これらの外国船が台湾で競売に付される場合、どの国の法律で優先順位を決めるのかという国際私法上の難問が発生します。
台湾の強制執行法第114条の3は、外国船舶が中華民国の裁判所を経由して競売される場合、船舶の優先権及び抵当権に関しては船籍国法によると定めています。当事者が優先権と抵当権の存在、担保される債権額、または優先順位について争いがある場合、優先権または抵当権を有すると主張する者は、執行裁判所に訴えを提起して裁判を求めなければなりません。
一見すると、パナマ船ならパナマ法、日本船なら日本法が適用されるように読めます。日本船籍の船舶が台湾で競売される場合、日本の商法が適用され、燃料供給業者の先取特権も認められる可能性があります。
実務における法廷地法への回帰現象
しかし、現実の司法実務はそう単純ではありません。学説や判例においては、法廷地法(台湾法)の適用、あるいは外国法の適用の制限が行われることがあります。手続き的性質説によれば、優先順位(Priority)は実体法上の権利ではなく、強制執行手続きにおける配当の順序という手続き的な問題であるため、手続きが行われる場所の法律(法廷地法=台湾法)によるべきだとされます。
また、公序良俗による制限もあります。たとえば、ある国の法律が船員給与を極端に低く扱っていたり、逆に燃料代を抵当権より優先させていたりする場合、それが台湾の法的価値観と著しく矛盾するならば、台湾の裁判所は外国法の適用を排除し、台湾法を適用する可能性があります。
法務部行政執行署100年(西暦2011年)度署声議字第81号決定では、外国船舶に対する抵当権の主張について、当事者間に争いがある場合は、裁判所に訴えを提起して確定させよとの判断が下されています。外国法に基づく権利が、台湾の執行手続きにおいて自動的に認められるわけではないことがわかります。
日本企業への実務的アドバイス
契約書で準拠法は日本法としていても、台湾での船舶競売という強制執行の局面では、その合意が通用しないリスクがあります。特に優先順位に関しては、最悪の場合、台湾法が適用され、燃料代や修理代の優先権は否定されるという保守的なシナリオに基づいてリスク評価を行うべきです。
台湾における船舶競売の実務プロセス

手続きの流れ
台湾における船舶執行は、まず仮差押え(Provisional Attachment / Arrest)から始まります。債権者は裁判所に保証金(担保)を積んで、船舶の移動を禁止する命令を求めます。台湾では、保証金の額は請求債権額の3分の1から全額程度と高額になることが一般的です。
次に、勝訴判決や公正証書などの債務名義を取得した後、正式な競売を申し立てます。執行官が船舶に乗り込み、現況を調査し、鑑定人が評価額を算出します。裁判所が競売の日時と最低売却価格を公告した後、入札が行われ、最高価買受人が決定します。
買受人が代金を納付すると、裁判所から権利移転証明書が発行されます。この瞬間、船舶上のすべての担保権は消滅し、クリーンな所有権が買受人に移転します。最後に、裁判所が債権者の順位と配当額を決定し、分配を行います。
運命を分ける配当参加の期限
台湾の 強制執行法 は、強制執行手続において配当に参加しようとする債権者について、一定の期限内に書面で申出を行うべきことを定めています。実務上は、少なくとも競売手続の終結前までに参加申出を完了していなければならず、手続の進行段階によっては、競売期日の直前では参加が認められない運用がされています。
この期限を徒過した場合、当該債権者は当初の配当手続に参加できず、他の債権者への配当後に残余がある場合に限って弁済を受ける立場に置かれます。たとえ優先的地位を有する海事優先特権債権であっても、適時に参加申出を行わなければ、その優先権を実質的に行使できない可能性があります。配当参加のタイミングは、権利内容そのものと同程度に重要です。
実務上、船舶競売の情報は現地の公告媒体や裁判所ウェブサイトを通じて公示されますが、日本語での情報提供は通常ありません。情報把握が遅れれば、配当参加の機会を失うおそれがあります。台湾で取引関係を有する企業は、現地専門家との連携体制を整え、公告情報を継続的にモニタリングすることが不可欠です。
まとめ
紛争が起きてからでは遅いのが海事法務です。契約段階で、準拠法条項の工夫、留置権(Lien)の明記、人的担保の徴求などの条項を盛り込むことを推奨します。単に日本法とするだけでなく、台湾での執行を想定した特約の追加が有効です。燃料供給契約等において、契約上の留置権を設定し、台湾法上の劣後順位をカバーすることも検討すべきです。船舶のみを当てにせず、親会社保証や銀行保証状(L/G)を取得することも重要です。
台湾におけるビジネスは大きなチャンスですが、海事分野においては日本法とは異なる見えない岩礁が潜んでいます。特に、サプライヤー債権に海事優先特権がないこと、競売時の優先順位の厳格さ、準拠法適用の不確実性の3点は、経営判断を行う上で片時も忘れてはならないリスクファクターです。しかし、これらのリスクは、適切な知識と準備、そして信頼できる専門家パートナーがいれば、コントロール可能なものです。モノリス法律事務所は、ITの力と台湾現地との強固なネットワークを駆使し、貴社の台湾海峡におけるビジネスの安全航行を全力でサポートいたします。
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